2013年3月17日日曜日

10月19日(18日目):オランダ・アムステルダム

シュレーダー邸を見終わった後はとりあえず宿に向かうことにした。

オランダでは友人Jと一緒に1泊、私一人で2泊、私の高校の友人と一緒に2泊、の計5泊する予定だった。

最初の3泊は「Stay Okay」という比較的大きいホステル。

後で知ったんだけども、この次の日がアムステルダムのマラソン大会と大きなクラブイベントでどこもホテルが埋まっていた。

このホテルでも男女同室の6人部屋しとれず、Jと一緒だしいっかと軽い気持ちだった。
以前に大学時代に北欧を学生たちで回ったことがあったんだけども、
その時も男女同室で、特に問題なかったから。
Jは1日前から泊まっているので、ホテルの様子を聞いたところ、
年下の男の子がいて、クラブイベントのためにやってきたとのこと。
本日から兄も来るらしい。


ホステルについて、携帯充電したり、準備して、次の建築ウォッチに向かう。

この時少々雨模様。
のため、タクシーを呼んだ。

向かう先はMVRDVのオクラホマ集合住宅。
高齢者向けの集合住宅だ。


集合住宅フェチの私としては、できれば、中を見たかったんだけれども、
セキュリティーがしっかりしているようで、中には入れなかった。

どうしても、あの飛び出た部分がボキってならないか少々心配になってしまう。
私がもし部屋を選ぶなら、あの飛び出た部分はちょっと遠慮したいかも。

帰りは集合住宅の連続している地域を歩いてバス停まで。

オランダの人たちは外から見える自分の家の内観をけっこう意識しているらしい、
とこの旅の道中に本で読んだ。
たしかに、窓から見える室内の様子が大変整えられている。

だからといって、あまり除きこめないんだけども。


このあとアムステルダムからホテルまでクラブイベントの大音量を背にバスに乗って帰りました。

この日はJとの最終日、ということで、
ちょっとリッチな夕食を食べ、(すごくおいしかった!)
そこのレストランのはがきを使えば、エアメールもタダで出してくれるとのことで、
夫に自慢エアメールを書きました。

友人Jはおじいさんの具合がよくないとのことで急遽日本に帰国しました。

私の祖父母も大丈夫かしら、と心配になり、電話しましたが、元気だよ~とのこと。
安心しきっていたら、その後帰国したあと、祖母が癌で祖父は心筋梗塞、が続々と発覚し、
この旅行の時期が1か月遅かったら、私も途中で帰国することになってた、と思いました。

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10月19日(18日目):オランダ・ユトレヒト

電車トラブルから抜け出し、少ない充電を使いFacebookで友人にこの事態を伝える。

午後一のシュレーダー邸の見学ツアーに間に合わないかも。せっかく予約してくれたのに。


ユトレヒト駅に着き、タクシーでシュレーダー邸に向かう。

着くと、おそらく同じ時間帯のツアーの団体がヘッドホンで解説を聞きながら家の周りを回っている。

友人に会えるかと思ったけど、会えず、ツアーの中にいた日本人に聞く。

すると、少し離れた場所に受付があるから、そこへ行ってみたら、とのことで向かう。


受付で日本人の友人は来てるか尋ねたけれど、来てないとのこと。

iphone充電させて!と頼み、充電させてもらったところ、友人J登場!

ほんの5日ぶりくらいなんだけども、異国の地でちゃんと出会えて感動!

結局1つあとのツアーを申し込み、ユトレヒトのレストランで食事。
この日は暖かく外で食べれるくらいの気候だったので、外の席を選んだ。

そしてシュレーダー邸の見学。

ヘッドホンで解説を聞きながら、一つ一つ部屋を見て回る。

日本語の解説は長いらしく、他のツアーの人たちから遅れる日本人2名。
家具の説明まである。

シュレーダー夫人とリートフェルトの関係にちょっとわくわくしながら進む。

今まで学校で学んだシュレーダー邸は(というか、私は2年間専門学校に行ってからの大学編入なので、学校でシュレーダー邸を学んだ覚えがないが)リートフェルトが設計した、ということと、デスティルの代表的な建物だ、ということだけだった。

お金持ちの夫から離れてこの小さな家にやってきた子どもたちは最初不平だらけだったとか。

間仕切りが忍者屋敷みたいで見応えがあって大変面白かった。
もう一度行きたいな。